| 〜 間奏曲 ZERO 〜 |
大きな政変が今尚進む大国と、東欧とをつなぐ場所に位置する、産声を上げたばかりの独立国。
その港湾都市で、奇妙な“取引”が行われようとしていた。
広大な倉庫──正確に呼ぶならば兵廠──の壁面、スリット状の開口部からは月明かりが差し込み、二人の男が長さの極端に異なるシルエットを作り出している。
そのシルエットの周囲を、作業着の男たちが取り囲んでいた。手には、例外なく拳銃が握られている。
二人のうち、短いシルエットの主は、矮躯ながらがっしりとした体格をした老人である。短いステッキに両手を添えて立っている。
まず目につくのは梟(ふくろう)が描かれた眼帯である。もう片方の鋭い目とともに、兇悪な雰囲気を振りまいている。立派に蓄えられた白い顎鬚(ベアード)は、月明かりを受けてか青白く光っているように見えた。
一方、アタッシュケースを大事そうに抱える長身の男は、鋭く吊りあがった楕円(オーバル)型のサングラスをしている。目元から頬にかけて、醜い傷跡が残っているが、それを隠そうともしていない。
二人ともイタリアンマフィアのような黒いスーツで身を固めているが、どことなく着なれていない印象を受ける。
何れにしても、二人が聖人君子でも堅気の人物でもないことは明らかだった。
客観的に見るなら、マフィアのボスとチンピラ──といった風情である。
その二人に、兵廠の奥から大きな歩幅で近づくもう一人の男がいた。
高級そうな白いスーツを着ているが、厚い胸板にネクタイやドレスシャツがいかにも窮屈そうだった。加えて、厳つい人相はビジネスマンにも政治家にも見えない。
「アポイントは取ったはずだ。誤解を解いてもらえると助かるんだが」
サングラスの男が言った。
「降ろせ」
男が合図すると、作業員たちは構えを解き、作業ズボンの中に設えたホルスターに銃を隠した。それでも二人への警戒は止めていない。
動作の一つひとつに無駄がなく、怪しい二人と同様に、彼らがただの倉庫作業員でないことは誰の目にも明らかであった。
つまり、ここにいる者はすべて尋常ならざる素性の持ち主、ということになる。
「手荒な真似をして失礼しました。シベリアの権益者──と言いましたか。電話ではお話できないとのことでしたが、我が“商社”にどのようなご用件で」
「社長……いや、“大佐”と言った方がよろしいですかな。貴社の商材に、“情報”がありましょう」
老人が丁寧でありながら凄みのある声で言った。
「……何が知りたい」
スーツの男の口調が変わった。
「“矢(アロー)”、にございます」
「ダーツなら、他所をあたってくれ」
「ただの矢ではございません。我々が探しておりますのは──ウクライナの矢で」
スーツの男の片眉が、ピクリと吊り上った。
「ところで、その後ろの矢は、分解して中東にお運びになるので?」
老人の視線が、スーツの男のずっと後方を指し示している。
そこには、5・6mの長さのある円柱状の物体が、幌を被せた状態で横たわっていた。
天井には、ホイスト式のクレーンがある。ここから搬入・搬出を行っているのだろう。
「貴様たちには、関係のないことだ」
男の抗弁を聞き届けると、老人は床をステッキでコンコンと鳴らした。
「若い独立国には、資産が必要でございましょう。……それとも、あれを売りつくして、金などもう見たくもないという状況ですかな」
サングラスの男が、アタッシュケースを開く。そこには金塊と書類が無造作に詰め込まれていた。
「時価数万ドルの金(きん)、シベリアの採掘場及びレクリエーション施設の権利書……おお、そうだハバナ産の葉巻もありますぞ」
「貴様ら……何者だ」
「強いていうなら──平和の使者で」
一拍の間をおいて、大佐が破顔した。つられて、作業員たちも笑い出す。
「お前たちが平和の使者というなら、我々は平和の総合商社といったところか。気に入った。取引に応じよう。ただし、質問は一つだけだ」
「俺が仕入れた情報によれば、中国に6本。中東にそこにある分を合わせて12本。……あと1本は、何処だ。誰に売った?」
サングラスの男が詰問口調で言った。
「質問は一つと言ったはずだ。お前たちの言う“矢”は売ったのではない。奪われたのだ」
「ほう。それは……いけませんな」
「詳しいことは俺も知らん。だが、生き残った者の話ではこうだ──」
──“矢”の移送中のことだった。
積載した大型トレーラーの他、6台のジープが随伴していた。
突然、各車との無線が通じなくなったのだという。
通信機の故障と思い、並走するジープとともに脇に停めた。
それを見届けたトレーラーが、100mほど先に停まった。
トレーラーの運転手が、通信手と話をしている。
自分の周囲で、咳き込む音、くしゃみの音を聞いた。
同乗者に「お前の風邪が伝染った」と言われた。
男は、自分はずっとマスクをしているのに、ひどい言い様だと憤ったのだという。
それ以降、ずっと険悪な空気が続いた。
遠くから「ヒュー」と囃す声が聞こえた。
見ると、運転手に通信手が掴みかかっていた。喧嘩だ。
壊れた筈のレシーバーから、美しい歌声が聞こえていた。
男はそれを、風邪の悪化による幻聴だと思った。
しこたま殴られた運転手が、大声で怒鳴りながら通信手に向って発砲した。
頭から真っ赤な血が噴き出した。
通信手は倒れ、死んだ。
撃った運転手を、数名の兵士が撃った。
撃った兵士たちを、また違う兵士たちが撃った。
理由の分からない、殺し合いが始まった。
──後は、地獄絵図だったという。
人一倍臆病だった男はジープの下で騒動をやりすごした。
全身が強張り、途方もない恐怖に襲われ、男は一部始終をただ震えながら見ていた。
──そこに、7人の男女が現れた。
せむし男から少女、大男まで、体格も人種も何一つ共通点のないグループに見えた。
彼らは眼前で行われている惨劇を意に介することなく、ただ黙ってトレーラーの方へ向った。
銃を向ける者もいたが、次の瞬間には首がなくなっているか、全身が焼き尽くされた。
リーダー格と思われる男が合図をした。
小男がトレーラーに飛び掛るや、スチールの荷台が真っ二つに裂け、中から“矢”が現れた。
大男が手を翳(かざ)すと、矢が空中に浮かび上がった。数トンの質量を持つ物体が、何の力も借りずに。
続いて金髪の男が引き戸を開くようなジェスチャーをした。
空が、裂けたという。
矢は、空中の裂け目に吸い込まれていった。
矢が消えると、空は何もなかったように元の景色を映し出した。
ほどなく彼らは姿を消した。
後には、死体と車両だけが残されたという──
「その者から詳しい話を聞けるか?」
サングラスの男が尋ねた。
「無理だ。その男は、話を聞いた4日後に原因不明の病気で死んだ」
「では、最後に一つだけ質問を許していただきたい。その矢の鏃(やじり)には、“毒”はついているので?」
白いスーツの男は顔をしかめたが数秒後、質問の意味を汲み取ってこう答えた。
「……そうだ。ABCの“A”がついていた」
二人組が顔を見合わせた。
「よい取引ができましたな。今宵の出会いを女神に感謝するとしましょう。では、おやすみなさい(ドブラーニチュ)!」
老人は強引にスーツの男と握手するや、そそくさと兵廠から立ち去った。もう一人もアタッシュケースを押し付けるように渡し、あわてて追いかけた。
スーツの男と作業員たちが、呆然と立ち尽くしている。
「大佐、あのまま……帰してよかったので?」
我に帰った作業服の一人が聞いた。
「俺が語ったのは、ただの御伽噺だ。そんな荒唐無稽な話は現実に存在しない。いいか、今日あったことはすべて忘れろ。あれは──関わってはいけないものだ」
苦渋に満ちた表情で、大佐と呼ばれた男が言った。
彼らが“ビジネス”を進める中で、ロシアマフィア、元KGB諜報員、怪しいアジア人、怪しいアラブ人、数限りない裏の世界の人間を見てきた。
──それよりも、さらに裏の世界があるというのか。
作業員風の男は疑問を抱いたが、大佐はこの日の出来事をなかったこととして扱ったため、やがて記憶も薄れ、彼らがこの日のことを思い出すことはなかった。
一時間後。
空港ロビーにて、急ぎ足で歩く老人にサングラスの男が声をかける。
「参謀長殿、以前のコネがこのような形で役立つとは思いもしませんでしたな」
にやにや笑う男の脛を、老人はステッキで打ち据える。
「いいか、わしを二度とその名で呼ぶな! 我々は女神がお戻りになられた時に、とっくに罷免されておる」
「痛ッ! すみません、さんぼ…ぼ…ボス!」
男が脛をさすりながら老人に尋ねる。
「それにしても、どうして女神はこの件で東奔西走されておられるんでしょうかね。そりゃ核拡散は平和を乱す脅威ですが、人間の過ちは人間の智慧で──というのが、中世以降のしきたりというか、不文律というか…」
「あの軍人の話を聞けば明らかであろう。あれは神の使途の仕業以外の何者でもなかろうて。それに神が人(にん)事不介入だと言うなら……そのルールを壊したのは、我々の方が先だったのかもしれんぞ」
「そっ、それは……」
タンカーの破壊。内乱への介入。数々のテロ行為。
忌まわしい記憶が、悪夢のように圧し掛かる。あの時、手配を整え、逐一報告していたのは自分だったのだ。
「これは贖罪の旅なのだ。すべてが詳らかになれば、我々は人の手で裁かれる人が来るかもしれん。だがその時まで、やれる事はやっておいた方が、後悔は少なかろう」
「あの男は、何だって女神の不倶戴天の敵の名を語って、世界に覇を唱えたのでしょう」
「わしにも分からんよ。あの時は、みんな狂っておったのだろう。何の言い訳にも、慰めにもなるまいが。しかし……その答えは意外に近くに転がっていそうな気がしてならんがな」
ガラスの向こうでは、滑走路から今まさにジャンボジェット機が飛び立たんとする場面であった。
「折れた矢(ブロークン・アロー)が一つ……」
空へと飛翔するジェット機の機影を見送りながら、サングラスの男が言った。
「急ぐぞ、聖域(サンクチュアリ)へ」
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